

先輩に「自分で考えろ」って言われるけれど、考えてるんだけどなぁ。
考えることが大切なのはわかってるけれど、何をどう考えたら良いんだろう…
理学療法士等の仕事では、常に考えることが必要だと思います。
それは、患者さん・利用者さんと関わる中で日々様々な問題に直面し、その解決方法も様々だからです。
そんなときに問題になるのが考えてる"つもり"になってしまうこと。
自分で考えるときに陥りやすい罠について解説していきます。

理学療法士をはじめ、医療関係の仕事をしていると、日々直面する様々な問題に対処することが必要です。
特に新人・若手のうちは、先輩からも「自分で考えて!」などと厳しく言われたり、学生時代から「自分で考える力をつけろ」などと言われ続けているかもしれません。
実は、新人・若手のうちよりも、ある程度経験を積んで中堅やベテランになった頃に陥りやすいのが、『考えてる"つもり"』になっている状態です。
そうならないために、新人・若手のうちから知っておきたいこと、中堅・ベテランは今からでも知っておくべきことを解説していきます。
知っておくべきこと、それはヒューリスティック(heuristic)です。
こんなアナタに読んで欲しい
- 自分は考えることができている!と確信している中堅・ベテラン療法士
- 考えることが苦手と感じている新人・若手療法士
- 冒頭を読んで「自分は考えられているのか?」と不安になった全ての方
この記事を書いた人

理学療法士として10年以上の経験を有していますが、先日公認心理師という国家資格を取得しました。
まだまだ勉強は継続中ではありますが、一般的な理学療法士よりは心理学について勉強していると自負しています。
理学療法士に役立つ形で心理学の知識を紹介したいと考えています。
考えている"つもり"になってしまうヒューリスティックの罠とは?
フランスの科学者・哲学者パスカルは、「人間は考える葦である」という言葉を残しています。
葦というのは弱々しい植物の代表で、人間には弱い面を持っているということを表しています。
しかし、葦は葦でも考えるという力・特徴を持っているので、人間は偉大である、というのがパスカルがこの言葉に託した意味とされます。
では、私たちはどれだけ考えることができているのでしょうか?
もちろん、みなさんが何も考えずに生きているだなんて思ってもいませんし、そんなことを言うつもりもありません。
ところが人間は、実はそれほど考えることが得意ではありません。
人間には、深く考えることをせず、迅速に意思決定を行おうとする性質・仕組みが備わっているのです。
恐らくこれは狩猟生活をしていたような先祖の時代に、長考していては命の危険があったために備わった性質であり、生き延びるための機能でもあります。
ただし、この性質には迅速な意思決定・判断が可能になる一方で、大いに偏った・誤った判断を下してしまうというデメリットがあります。
このように、必ずしも正しくはないが、経験や先入観によって直感的に、ある程度正解に近い答えを得ることができる思考法をヒューリスティックと呼びます。
ヒューリスティックは、判断の手がかりとする情報によっていくつかに分類することができます。
ここから、代表的な3つのヒューリスティックを紹介していきます。
想起しやすい情報を重視する『利用可能性ヒューリスティック』
例えば、
- 脳卒中を発症すると、ほとんどの場合リハが必要になる
こんな風に考えることはありませんか?
実際にはリハの必要がなく退院される方も多いのです。
これを読まれる方は恐らくリハ関連職種の方が多いので、このように考えているとしたら、目の前に現れるリハが処方された方のことしか想起せずに考えていると言えます。
このように、自分に馴染みの深い事象や情報を重視して考えてしまうというのが『利用可能性ヒューリスティック』というものです。
代表例・典型例から判断する『代表性ヒューリスティック』
例えば、
- あの医師は賢くいつも正しい判断をするから、今回の判断も正しいのだろう
- 左片麻痺のAさんはこういう介入で上手くいったから、左片麻痺のBさんも同じ介入で上手くいくだろう
こんな風に考えてはいませんか?
これらの例は、どちらも「そうとは限らない」と言えるでしょう。
1つめの例では、『誰の判断だから正しい』という風に考えてしまっていますが、実際にはその判断自体の正しさを考えることが必要です。
2つめの例では、AさんとBさんの個別性を考慮せず、『左片麻痺』という状態で一括りにして考えてしまっています。
実際にはそれぞれの状態を評価して、それぞれに合った介入を考えていく必要があるでしょう。
このように、代表例や典型例から判断してしまう、言い換えるとステレオタイプで考えてしまうのが『代表性ヒューリスティック』です。
ハロー効果が生じるのも、この『代表性ヒューリスティック』で思考・判断する人が多いということを表していると考えられます。
▼ハロー効果についてはこちらでも紹介しています▼
最初に与えられた情報を基準とする『係留と調整ヒューリスティック』
例えば、
- 退院時のFIMが100点と聞くより、入院時のFIMが60点だった人が退院時FIM100点になったと聞く方が、大きく改善したと感じる
こんな風に考えることはありませんか?
そう考えることも当然と言えば当然なのですが、冷静に考えると退院時FIMが100点だということに変わりはありません。
しかし、最初に与えられた情報(入院時FIM)の有無によって、退院時FIM=100点の持つ意味が変わってきます。
このように、最初に与えられた情報を基準として、それに調整を加えることで判断するのが『係留と調整ヒューリスティック』です。
なぜベテランほど罠にハマりやすいのか?

ここまで紹介してきたヒューリスティックというのは、新人や若手よりもベテランの方が生じやすくなります。
つまり、ヒューリスティックの罠にはベテランほどハマりやすいということです。
これはなぜなのでしょうか?
その理由を考えていきたいと思います。
新人・若手はヒューリスティックが働きづらい
新人・若手というのは、目の前の事象や仕事に取り組むので精一杯という状況が多いのではないでしょうか。
ヒューリスティックというのは、これまでの経験や持っている情報を用いて思考・判断を迅速に行う仕組みです。
つまり、そもそも経験や知識、持っている情報が少ない状態の新人・若手は、思考や判断をヒューリスティックを用いて迅速に行うことができないということです。
誰もが新しく取り組む作業というのは、「こうすればこうなる」という予測が立たないでしょう。
目の前の事象・情報から、その場で考え、判断するしかありません。
ゆえに、新人・若手のうちはヒューリスティックが働きづらく、ヒューリスティックの罠にハマりづらいと言えるのです。
慣れが過信を生む
新人・若手がある程度の経験を積み、中堅と呼ばれるようになった頃、『慣れ』が生じます。
目の前に現れる事象や現象は新規のものではなく、「前に見たことがある状況」と感じることが増えてくるでしょう。
新たなことに取り組むよりは、これまで経験したことのあることに取り組む方が、安心感がありますよね。
「前にも似たような状況を経験したことがある。だから自分は大丈夫だろう」と考えてしまうわけです。
そして、効率の悪い『その場で考え判断する』ということを避け、より迅速かつ楽に判断が行えるヒューリスティックという思考法を用いるようになっていくのです。
ヒューリスティック自体は元々迅速かつ低コストで判断や意思決定を行える仕組み、人間に備わった機能なので、これを用いること自体は悪いことではありません。
しかし、慣れによって自身の考え・判断を過信してしまうことは危険なのです。
この傾向は仕事に慣れてきて、自身を過信してしまいやすくなってくる、中堅やベテランに生じやすい傾向があると考えられるのです。
ヒューリスティックは避けられない?
では、経験を積んで仕事に慣れてくると、ヒューリスティックは避けられないのでしょうか?
先ほども書きましたが、ヒューリスティックはそもそも人間の生存戦略として生まれた機能です。
ヒューリスティックを用いた思考・判断を行うのが悪いことなのではなく、ヒューリスティックによる思考・判断を正しいと考えて疑わないことが問題なのです。
よって、ヒューリスティックは避けるべきではなく、一つの機能・ツールとして利用しつつ、その穴を埋める思考法も身に付けておくということが必要なのです。
自分を過信せず、疑いの目を向ける
ヒューリスティックで最も危険なのが、ヒューリスティックによって下された自身の判断が正しいものだと確信してしまうことです。
目の前の事象に対して、過去の経験や情報を元に判断してしまっているのですから。
瞬間的な判断が求められる場合にはヒューリスティックのみで判断し意思決定する必要がありますが、少しでも思考する余裕のある状況であれば、一度自分自身や自分の判断を疑ってみることが大切です。
先ほど挙げた例の一つを考えてみましょう。
- 左片麻痺のAさんはこういう介入で上手くいったから、左片麻痺のBさんも同じ介入で上手くいくだろう
この例であれば、Aさんに対する介入の成功経験からBさんへの介入を短絡的に決定しようとしています。
AさんとBさんは違う人であり、『左片麻痺』という要素は同じであるものの、その程度や症状は違ったものでしょう。
よって、Aさんに有効であった介入は過去の経験・情報として参考にしつつ、Bさんに対する評価を行った上で、介入方法を最終的に決定もしくは実践の中で修正していくことが必要です。
なかなか極端な例なので
当たり前だろ!
と言われてしまうかもしれませんが、人間が無意識に用いてしまうヒューリスティックは、知らず知らずのうちに誤った判断へと私たちを導いてしまうのです。
ご自身の日々の取り組み、臨床場面なんかを、一度振り返って考えてみると、案外短絡的な思考・判断を行っている場面が見つかるかもしれません。
情報を集め、自分で考える習慣を
繰り返しになりますが、ヒューリスティックは避けるべきものではなく、利用しながら、自身の判断を疑ってみることが必要です。
自身の判断を疑ってみると、判断に必要な情報が足りないことに気付く場合が多いでしょう。
情報とは、目の前の状況から直接的に集める情報もありますし、その場ではないところから集めてくる必要のある情報もあります。
例えば、論文等の知見であったり、公的な機関が公表している調査報告などの情報などがあるでしょう。
そして何よりも大切なのが、そのような集められた情報を自分で考えて判断するという習慣です。
新人・若手のうちから自分で考える習慣をつけていくことで、中堅・ベテランとなったときにも短絡的な思考・判断に陥る危険が減らせるかと思います。
また、既に中堅・ベテランと呼ばれる経験年数となった方であっても、このような思考法を行っていることに気付けることによって、普段の考え方を修正していくことも可能なはずです。
まとめ

以上、『考えてる"つもり"になってない?考えるときに注意すべき思考の罠』というテーマでヒューリスティックについて解説してきました。
人間に備わっているヒューリスティックという思考法の特徴を知り、普段から自身の考え方や判断の仕方を振り返ることで、短絡的な思考・判断を避けることが可能です。
迅速な判断や意思決定が可能なヒューリスティックと、多くの情報を集めて時間をかけて思考・判断を行うということ、状況や場面によって使い分けることができるのが理想的ですね。
あなたもヒューリスティックだけで思考・判断してしまってはいませんか?
ぜひ一度、振り返ってみてください。